コラム:団地の木と草とキノコ 木本3 マテバシイ

―ドングリの世界―

投稿YZ

   団地で栽植が一番多いのは「マテバシイ」です。108本栽植されています。植栽してから45年弱経ちました。植栽時の樹齢を加味すれば樹齢は50年を越えていると思います。本来15m以上の樹高になる樹木ですが、毎年剪定しており、ドングリを着けることは殆どありません。また、剪定で樹高を5m以下に抑えられてきたことから、少し弱って幹痛みも出ています。団地樹という環境(公園や植物園のように自然樹形にすることが出来ない)からすれば、良く頑張ってくれていると思います。

「マテバシイ」学名 Lithocarpus edulisは、ラテン語では「石の様に硬いが食べられるもの」の意です。和名の「マテバシイ」は「マテガイに似たシイ」という説と「待てばシイのように美味しくなる」との説もありますが、生食もできる渋みの少ないドングリです。日本列島の西南暖地に産する日本原産のドングリの木で、公園樹、街路樹としてよく見ることが出来ます。

  ドングリ(団栗)は、ブナ科の果実である堅果の総称です。クリ・ブナもドングリの類として扱います。堅果の一部または全体を「殻斗(かくと)」で覆っているのもブナ科の特徴です。殻斗とは総苞片が集まって変形し癒合したものです。殻斗の違いが判ると属の違いが判ります。是非、殻斗の属による違いの謎解きに挑戦頂きたいと思います。ブナ科の堅果は、「殻斗果」または「どんぐり状果」とも云います。高デンプン質で個々が大きいため、人間を含む動物の山の恵みになります。

  白亜紀(1億4300万年前〜6500万年前)の気候は、高緯度まで温暖でした。裸子植物の常緑針葉樹が主体でしたが、白亜紀の後期は常緑広葉樹林が高緯度まで進出しました。ブナ科も常緑広葉樹として、白亜紀後期(約8000万年前)には分布していたことが化石で見つかっています。常緑のまま進化したシイ、マテバシイ、アカガシですが、新生代の第三紀(6400万年前〜170万年前)には、ブナ科の一部が落葉性を獲得しました。「クリ属」、「コナラ属」、「ブナ属」がより高緯度に分布するようになりました。落葉性は、土壌からの吸水の難しい時期に蒸散のおこる表面積を減らす重要な適応現象です。常緑性の祖先種が落葉性を獲得する場合は、葉柄の基部に離層を形成するのが常です。しかし、北上を広げた過ぎた「ブナ属」、「クリ属」や「コナラ属」は、170万年以降の氷河期と間氷期の寒暖を繰り返す環境において離層の形成の獲得にまでは至れなかった進化途中の属です。但し、葉を速やかに落とすことはできませんが、葉への水の通導を止め、葉を乾燥させて冬芽を保護しています。

ご存知だと思いますが、ドングリには「1年で実を着けるもの」(春開花受精し秋に実をつける)と「2年かけて実を着けるもの」(前年の春開花受精し翌年の秋に実をつける。例外的にシリブカガシは前年の秋に開花受精し翌年の秋に実を着ける)があります。これも、落葉性への進化と深い関係はあるようです。落葉性のドングリには「1年成り」が多く、「常緑性のドングリ」には「2年成り」が多い傾向があります。しかし、自然界はそう単純ではありません。落葉性の「アベマキ」等の数種は「2年成り」ですし、「常緑性ドングリ」でも「シリブカガシ」の「1.5年成り」をはじめ、「アラカシ、イチイガシ等数種」は「1年成り」です。「2年成りと1.5成り」では、「昨年の春受精したドングリ」と「今年受精してできた赤ちゃんドングリ」を同時に観察することが出来ます。身近にある「クヌギ」はどうか?「シラカシ」はどうか?「マテバシイ」はどうか?「スダジイ」はどうか?是非、観察してみて下さい。不思議な世界が覗けます。

また、被子植物の殆どが、「風媒花」から効率の良い「虫媒花」に進化していますが、ブナ科は、進化の途中にあるべく、風媒花と虫媒花のタイプがあります。「風媒花」はアカガシ亜属、コナラ属とブナ属、「虫媒花」はシイ属、マテバシイ属、クリ属です。ブナ科は雌雄同株です。「風媒花タイプ」のものは、雄花と雌花の花穂が独立しており、雄花は風媒の為に沢山の花穂を垂らして花を咲かせます。一方、「虫媒花タイプ」のものは、受粉効率の為に同じ花穂に雄花と雌花を着け、さらに雄花は訪花昆虫を誘う為に強力な匂いを発散する進化を遂げています。

ドングリの播種は自然落果と動物(リス、ネズミ、トリ(カケス))の播種に依存しています。自然落下した地表のドングリの多くは害虫と特に乾燥に弱いため殆ど発芽できません。運よく発芽出来ても、母樹下では、光不足で数年で消滅します。母樹が倒れるなどの攪乱が起きた時にのみ、万に一つが生き延びられるのです。一方、動物にも殆どが食べられてしまいますが、リスやネズミ、カケスは余ったドングリを林床に少数ずつ分散して貯食埋蔵する習性があります。殆どが食されますが、運よく残ったドングリが生き延び子孫を継承するのです。殆どの年は、食べつくされることが多いので、ドングリやブナの木は5~6年周期、あるいは13年周期に一度、豊作の年をつくり、埋蔵量を増やして世代交代と子孫を継承するチャンスを作っています。隔年結果戦略です。ドングリの豊作の翌年は生産量を減らし、増えた天敵動物数の調整をしています。豊作の翌年は、熊などが山から降り人里に出没して、トラブルを起しています。

ブナ科植物は、一部亜熱帯を含め暖温帯から冷温帯にかけての森林での主要な森林構成樹種です。暖温帯では常緑のシイ・カシ・マテバシイ類が照葉樹林帯の主要構成樹種であり、冷温帯では落葉のブナ・ミズナラなどが落葉広葉樹林帯の中心になっています。その中間の温帯の常緑・落葉混交樹林帯では常緑性のシラカシ、アラカシと落葉のクリ、クヌギ・コナラなどが混交します。

縄文時代の食料は堅果の時代とも云われ、縄文人の胃袋を支えました。クリやドングリ、クルミ、トチは大切な食料でした。縄文時代の中期のピークの日本の人口は26万人だそうです。現在より平均温度が1~2℃高く(縄文の海進;ピークには、東京湾が館林まで入り込んでいたそうです。)、温帯落葉樹林帯は今より東北に広がり、クリ・クルミ・トチの実が豊かな地域に人口が偏った西低東高の人口配置(9;1)だったそうです。青森県の三内丸山遺跡では、5500年~4000年前にかけ、1500年にわたり約500人の集落を築き、ドングリを蓄え、クリも栽培していたと云います。ところが、3000年前の縄文後期は、急激に温度が2~3℃下がり、今より平均気温が1℃以上低くなった為に、温帯落葉樹林は南下し、堅果の不作により、人口も8万人以下に減ったそうです。その後は、稲作文化や弥生人の渡来により、弥生時代は、西高東低の人口配置に変化が起き、当時の人口は60万人に急増したそうです。

ドングリの味にも触れてみます。クリは別格ですが、シイの実もいけますし、マテバシイも硬いですがいけます。ドングリの渋皮に含まれるタンニンは主に加水分解型タンニンで、お茶に含まれるタンニン(縮合型タンニン)とは異なります。また、ドングリの種類により、含有量が異なり渋みが違います。 ドングリの構造は、「渋皮」が「種皮」、「外の硬い鬼皮」が「果皮」に相当し、「渋皮(種皮)」の内側が「種子」です。種子には胚乳がなく胚と子葉部からなります。子葉部分の殆どは高デンプン質の炭水化物です。主に「渋皮」に含まれるタンニンは、ドングリの防御物質として動物の摂食を防ぐ役割を果たしていると考えられています。種子にもタンニンは存在します。渋抜きをして、種子を食べてきました。渋抜きは、地方により独特の手法引き継がれています。是非、調べてみて下さい。地方々の生活の知恵を垣間見ることが出来ると思います。

渋がほとんどないドングリ: スダジイ、ツブラジイ、クリ

渋が少ないドングリ : マテバシイ、イチイガシ、ブナ、イヌブナ、

シリブカガシ

渋があるドングリ: コナラ、ミズナラ、クヌギ、アベマキ、カシワ、

ナラガシワ、ウバメガシ

渋が多いドングリ : シラカシ、アラカシ、アカガシ、ツクバネガシ、

ウラジロガシ、オキナワウラジロガシ、ハナガガシ

『マテバシイ』の花言葉は『勇気と力』です。団地のマテバシイが元気になることを願っています。

次回は 木本の裸子植物:「イチョウ」について投稿します。

以上 

追記:おまけ

今年は 夏の暑さや台風の塩害で、サクラやツツジをはじめ、色々な樹木で狂い咲きが起きてマスコミを賑わせています。マテバシイでも、変わった現象が身近で起きていました。以下の写真を見て下さい。 *2018.10/17 伊奈町 撮影

マテバシイのドングリは昨年(2017)の春咲いた雌花が今年(2018)の秋に実る2年生のドングリです。普通は、初秋には、今年の春(5~6月)に咲いた雌花の赤ちゃんドングリと昨年の春にさいた成熟ドングリの両方が見られます。しかし、今年はさらに、秋にもドングリの雌花と雄花が咲きました。来年の秋には、今年の春咲きと秋咲きのドングリの実が同時に収穫できるかもしれません。不思議は不思議ですが、マテバシイ属の仲間に「シリブカガシ」があり、前年の秋に花を咲かせ、翌年の秋にドングリが成熟します。今年の異常な暑さに、この属の持つ秋咲きの遺伝子が「マテバシイ」にも呼び起されたのでしょう。自然では、人間の浅はかな知識に対する想定外な現象はいつも起ります。先入観は禁物です。     

                       おまけの終り

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