夫婦二人に娘一人、長男は東京にいる。
三人家族の中に猫が一匹入りこんだ。普段は昼間夫婦二人だけである。この一匹の猫が家族に与える影響は、あなどれないものがあった。
先ず、家内は猫に極めてやさしい語りかけをしていた。私に対する言葉とあまりに違うので、びっくりした。
「ミーちゃん、(いつの間にかミ―コとかミーと言う名前を付けていた)おまえはかわいいね、いいこだね、おてては痛い痛いだね、かわいそうね」などど文字通り猫なで声でしきりに話しかける。やさしい言葉は猫に向けられるので、私の方に放たれる言葉は、やさしさの抜け殻ではないか、と感じている。
一方に於いて、私もいつの間にか、猫の背中を撫でながら、「かわいいミ―コちゃん、いい子だね、良いお目目だね」などとこれも猫なで声?で呟いている。
人の頭の上辺りに、かわいがりたい、と言う気持ちが雲のように固まっていて、愛らしい赤ちゃんや、動物を見ると突然、雲がはじけて、身体全体をかわいい気持ちが包み込んで、思わず、「ああ、かわいい」と言ってしまうのだろう。このかわいがりたい雲のかたまりは皆がもっているもので、普段は頭の上にある。かわいがりたい気持ちはいつも、誰にでもあるので、常にその対象を探しているのだ。ひとたび可愛いものを見つけると、雲ははじけ、かわいいモードで全身が包まれるのだ。
ここまでの文章では、猫がなついているように思えるが、実際はそうではない。
ミ―コは相当ひどい目にあっているようで、傷口がふさがるのに、約1年かかった。離れた皮が繋がらなかったのである。一時、医者が「思いきってこの手を切ってしまおうか」と言った事がある。私も家内もそれには即座に反対した。
やっとその傷はふさがったが右手首から内側に曲がっていて、肩から動かさないと、腕は動かなかった。明らかに利き腕は右らしく、その不自由な手で顔をなでる(洗う)ことがあった。また、ピンポン玉などを投げるとその手で打ち返おすことがあった。
傷は癒えても、恐怖心と警戒心はしっかりと残っていた。普通、猫は人に抱かれることを、それほど嫌がらないものだと思っていたが、ミ―コは誰にも抱かれなかった。家内には一番なついていて、足元にじゃれたりしていたが、抱こうとすると、嫌がって爪を立てた。何回も試みても、慣れない。
包帯がとれても良いのだが、歩くときに右ひじをつくので、そこの皮が擦れて血が出て来た。仕方が無いのでまた脱脂綿と包帯で保護をせざるを得なかった。従って今でも右手は包帯をしている。
ミ―コが歩くと、音がした。片足の海賊キャプテンが義足で歩く時のように、コツン、コツンと床に響くのである。(つづく)
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