昨年、さんざ探した西ノ湖(さいのこ)を今年こそはと求めて奥日光に宿をとった。
赤沼車庫に車を停めて、バス停に向かう。低公害車だけが走れるバスに乗って西ノ湖に向かう。小田代原を経て、やく25分程で停留所に到着。徒歩2k弱で目的地に到着する。その間、木漏れ日の降る足元の道はところどころみず溜まりをつくり、落ち葉を湿らせている。それを避けながら進む。渓流に掛かった橋をふたつ渡り、しばらく歩くと遂にあの「西ノ湖」に着いた。
水量が溢れ、かっては河原であった場所はすべてあり余る湖水が足元まで来て、何と云うる事だ、巨大な湖になっていた。湯の湖とは違って小島もなく、単なる湖に過ぎず、平らな水面を囲む森だけの湖でしかなくなっていた。
遠く広がる河原のかなたに手のひらほどの大きさのうす緑色のみずうみは、何処へ行ったのか。歳月が自然を変えたのでもなく、多量の雨が風景を変える事があると云うのだろうか。
過剰な水を前にして、茫然とする私にとって、想いを残す、あの可憐なみずうみを想像するのも困難である。失望に暮れながら、帰路に帰る。
旅から帰り、失望と暑さに打ちひしがれながら、次の言葉に出会った。そしてその言葉を交えた詩?を作った。
生きるのは恋のつづき
「はつ恋は 最後の恋 最後の恋は はつ恋」
おそろしく真実の言葉
いきることはこひ
括弧の中のことばは誰かが言ったことばです。
平成23年8月16日
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