小学校2年のころ、仲の良い友達がふたり居て、学校の帰りは概ね一緒だった。その日も、ニッキが売っていると言う話を聞き、3人で駅の近くの駄菓子屋に向かった。駄菓子屋と言っても、殆ど商品は無く、うす暗い店の中で、ガラスの入れ物の中は大体空に近かった。メンコやビー玉等の方が多く置かれていた。
ニッキはお菓子の無い時に、その根っこをかじっていると、かすかな甘みと、あまさを連想させる刺激的な芳香が、舌をしびれさせ、夢中になって乾いた桂皮をかじった。日常にあまり無い香りと味であった。よだれが口の端からよく垂れたのを覚えている。
玉音放送を聞いたのが小学校4年生の時だから、2年生当時、物資は相当に不足していた。
学校から少し離れたお寺の境内を抜けて、駅の通りへ向かう。その境内を覆うように2階屋が立っていた。その木造2階建ての北側の板壁は黒ずんでいて、馬鹿に高く、大きく見えた。その家は、我々のクラスに居る、浅井 美子という女生徒の実家であった。表札には浅井 花子という文字が書かれていた。
浅井 美子という生徒は、小柄で、可愛い子であった。その人形の様な可憐な顔立ちは並み居る女生徒と比べると群を抜いていた。私は授業中でもよくその横顔を盗見していた。
ただ、彼女が大きな声を出したり、笑ったりする顔を思いだせない。学校の成績は良い生徒だったと記憶している。
3人組が一緒に下校の時、ふと我々の前を、浅井 美子が一人で帰る姿に気付いた。なぜか自然に3人は彼女の後をつけ始めた。しばらくすると、我々に気付いた彼女は、一度振り向いた後、その足を速め始めた。それに誘発されたと言うわけでもないのだろうが、我々も無言で追跡を始めた。
ついに、彼女の家の前まで辿りつくと、彼女はあっと云うまに門の中へ姿を隠した。我々3人はお寺の境内に戻り、なぜか、私はあの2階建の板壁に向かって小石を投げた。石は乾いた音を立てて、落ちた。すると他の二人も憑かれたように小石を投げ始めた。初めは無言で投げていたが、途中から笑いながら、わめきながら投げ続けた。まるで、彼女を呼び戻せるかも知れないとでも、思っているかのように。
家から背の高い女性が出て来て、「何するの、先生に言いつけますよ!」と大きな声で怒られた。声も大きかったが、その女性も大きく見え、我々は驚いて夢中で遁走した。
次の朝、学校へ行くと、担任の先生がいきなり3人の名前を呼び、教段の前に並ばされた。私は何の事か分からず、誉められる筈は無いので、不安な気持ちに襲われた。他の2人も私の顔を覗きながら、目をきょろきょろと動かしていた。
「この3人は、きのう浅井さんの後を付けて家まで追いかけ、その上、家の壁に石を投げたり、大声で騒いだりした。お母さんから学校に知らせが入った」と先生が報告をし、
「3人とも、浅井さんに謝りなさい」と付け加えた。
私は何と言っても主犯なので、「昨日の事は、ごめんなさい」と詫びた。その時は本当に悪いことをした、と反省していた。続いて、ふたりも異口同音に謝った。
それだけでは済まされず、先生は「授業が始まるまで、そこに立っていなさい」と言い残して行ってしまった。
下を向いていた視線を上げ、その時、浅井さんの顔をじっと見た。彼女がどんな顔をしているのか、気になった。じっと見ていると、無表情な顔の眸から、何か光るものが頬にかけて落ちでくるのが見えた。
その日、学校では孤独な一日となった。友達とも話をする気も無く、帰りも一人で帰って来た。あの浅井さんの涙の様なものは、一体、何だったのだろう。いくら考えても、その真意は分からなかった。
ふと、ポケットに手を入れると、指の先に木の枝の様なものがふれた。取り出してみると、先日、3人で買いに行ったニッキだった。私は、それを取り出し、少し残っている桂皮をかじった。香りも残っていた。辛さも残っていて、舌を刺した。なぜか、私の眼から涙が湧いて来た。
おわり
平成30年11月11日 町田 辰夫
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